ふみくら:早稲田大学図書館報No.11(1987.6.10) p.18

新収資料紹介10

ドイツ世紀末のイラスト文芸雑誌
『ユーゲント』

Jugend.Munchner lllustrierte Wochenschrift fur Kunst und Leben.
Jahrgang 1−23.Munchen.1896−1918.46 vols.   SF・134(1)〜(46)

 ヨーロッパ19世紀末の芸術を抱括的に表現する様式が「アル・ヌーヴォー」と呼ばれているが、ドイツ語圏に限っていえば、「ユーゲントシュティール」と称されるものがあった。この言葉の由来が紹介する『ユーゲント』である。当時、19世紀から19世紀から20世紀への変わり目で文化・芸術の表現様式が転換期を迎えていた。様々な試行錯誤がなされたが、それらを可能としたメディアのひとつが、雑誌であった。
 フランスの『ラ・ルヴィユー・プランシュ』(La Revue Blanche,1891−1903),
イギリスの『ザ・ステューディオ』(The Studio,1893−),が英仏の代表誌とすれば、ドイツでは『パーン』(Pan,1895−1900)と並んでこの『ユーゲント』か挙げられる。図書館では既に『パ一ン』,『ステューディオ』を収蔵しており、『ラ・ルヴィユー・ブランシュ』は、文学部が所蔵している。今回これに加えて『ユーゲント』を入手できたことにより、ドイツ文芸史をはじめとする関連分野の基礎資料を充実させることになろう。
 同誌は、1896年にミュンヘンで出版業を営んでいたヒルト(Georg Hift,1841−1916)によって編集刊行された。わずか20ページに満たない冊子であったが、多色刷を含む豊富なイラストと機智に富んだ軽快な内容とが受け、たちまちにして広汎な読者を獲得するに至った。同時代の『ハーン』や『インゼル』(Die lnse1,1888−1901,末収蔵)がどちらかといえば、芸術的かつ高踏的な誌面のため、限られた層に受けいられたのに対して、『ユーゲント』.には、漫画、ポンチ絵、広告が多く、その多彩性が大衆に受けたのである。そのことが、同誌が他の2誌に比較してより長期間刊行され続けた(停刊は1940年)要因となった。
 今回収蔵することができたのは、創刊号から1918年までのものである。このうち、やはり19世紀末のものに見られる漸新なイラストが目をひくであろう。登場する作家は、ミュンツァー(Adolf Munzer)、クリンガー(Max Klinger)、ヤンク(Anlglo Jank)、ベックリン(Arnold Bocklin)、シュトゥック(Ffanz von Stuck)等々である。
 創作、評論では、エルンスト(Otto Ernst)、ホーフマンスタール(Hugo von Hofmansthal)などの寄稿がある。編集者のヒルト自身「Neue Stil」なる論説(1898年51号)を発表『ユーゲント』と「ユーゲントシュティール」について論評している。
 『ユーゲント』誌をくっていくと、ポンチ絵に日本人が時々登場じてくるのが目につく。これは当時のョーロッパに流行していた日本趣味「ジャポニズム」の影響であろう。また日露戦争当時のものには、強国ロシアに勝利しつつある日本および日本人を描いたものなども含め、当時の対日感情の一端が覗えて面白い。
 また、「Jugend」のタイトル文字は、毎号その時々の表紙絵に従って変わっていることが同誌の特徴である。タイトルのロゴに拘泥せず、絵の特性を生かしたり、また絵の中に自由にレイアウトされてしまっていたりしている。これもまた「ユーゲントシュティール」の主張でもあったのであろうか。
創刊号表紙 若者のかかげるトーチの焔でJUGENDと描いている。




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Archived Web,December 13, 1999