Osterreichischer Reichsrat. Protokolle.

オーストリア=ハンガリー帝国議会議事録 1867-1919


資料形態マイクロフィッシュ 5,927枚
請求記号S220 / S221
原本所蔵Parlamentsbibliothek Wien
出  版Olms
内  容  1867年から1918年まではオーストリアとハンガリーが対等の立場で二国連合国家を形成した時代である。ハプスブルク帝国(オーストリア)は1848年の革命鎮圧以後国内に抱える根強い民族問題とその後の普墺戦争惨敗によって国内政治体制の決定的な変革の必要が生じ、国内安定創出を第一とする政策転換を余儀なくされた。そこで非スラブ系であるマジャール人を取り込み、1867年の妥協政策(Ausgleich)によってハプスブルク帝国内にマジャール人の国家形成を認める形で二重帝国が発足した。
 オーストリアとハンガリーは、共通の君主を頂くものの、外交・軍事など最小限度を一元化するのみで、その実態はゆるく結合した自治的な二国であった。両国がそれぞれ内閣と議会をもち、その議会の代表60名づつが共通議会を構成し、さらに共通の内閣や共通関税等を設置した。
 資料は貴族院(Herrenhauses:S221)と下院(Argeordnetenhauses:S220)に分れ、それぞれ議会資料(Sitzung)と添付資料(Beilage)が会期順にならんでいる。収録期間はAusgleichが成立した1867年から、解体の翌年にあたる1919年迄で、二重帝国の全時代を網羅している。
 二重帝国は典型的な多民族国家であり、その成立時期から第一次世界大戦まで絶えず国内の民族問題に悩まされていた。19世紀末には「言語令」をめぐって対立が起こるなど、議会議事録にも各民族を代表する議員の発言に問題が深く刻まれている。こうした民族問題という難問を抱え続けたオーストリア=ハンガリー帝国議会の資料を研究することにより二重帝国における統治システムを明らかに出来、当時帝国の支配化にあったボスニア、クロアチア、チェコ、スロバキア、ポーランド等の小数民族問題研究、及びこれら諸国の近世史研究に与するところは大であろう。
検  索それぞれフィッシュ媒体でインデックスあり。
関連文献『Nationalrats der Republik Osterrich 1920-1934』(請求記号:S221/本資料の続き)
 議会議事録としては1849-1933年のドイツ連邦議会、並びに帝国議会議事録がマイクロ資料で当室に所蔵されている。


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