Records of the Dept. of State relating to internal affairs of Estonia, 1910-1944

エストニアの国内事情(米国国務省文書)


資料形態35mmマイクロフィルム 23リール
請求記号M880
原本所蔵National Archives and Records Administration
出  版Scholarly Resources
内  容  この資料は1917年のエストニアの独立前から1944年のソ連軍の再占領までを在エストニア米国公館が記録した同国の国内事情、対外関係に関する報告文書、調査資料を集成したものである。
 エストニアを含むバルト三国の現代史は、波乱にとんだものであった。エストニアの独立宣言後、ロシアの革命臨時政府は当初独立に反対したが、1920年にこれを承認し、名実ともに独立国として歩み始め、農地改革の成功や国内産業の発展により1930年代の後半には、物心ともに豊かな時代を享受できるようになった。この時代、外交面ではラトヴィア、リトアニアを始め、フィンランドやポーランドとの攻守同盟を構想し大連合を目指したが、各国の思惑の違いから実現には至らなかった。その後、バルト三国という当事者を無視した1939年独ソの「モロトフ・リッペントロップ協定」により、ソ連の勢力下におかれてからその悲劇は始まり、同年ソ連の恫喝のもとに締結された相互援助条約によりソ連軍の進駐が行われ、翌年にはエストニア国民の意志を無視したままソ連に併合された。その後多くのエストニア人がシベリアに送られ、その間独ソ戦でナチス=ドイツに占領され、1944年にはまたソ連の併合状態に戻るという悲劇を経験した。
 わずか20年の独立期間であったが、この資料は、独立、併合そしてドイツによる占領の過程を知る第一次文献と言えよう。資料は年代で、1910-1929、1930-1939、1940-1944の3つのパートに分れており、さらにそれぞれ Political Affairs、Citizenship等の主題に分けて記録されている。
検  索当室で作成した内容リストあり。
関連資料Taagepera, R『Estonia:return to independence』(Westview 1992)
石戸谷滋『民族の運命:エストニア 独ソ二大大国のはざまで』(草思社 1992) 他


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First drafted May 26, 1997
Last revised May. 11, 1998